新日曜美術館のマークロスコの回を見ました。お母さんありがと!作家さんがロスコの作品について語っていたり作家の作品の朗読があったりと、ただ画家や作品を紹介するのとは違った切り口で面白い。作家っていうのはさすがだなーと思った。例えば、20世紀初頭、戦争や恐慌という歴史背景があってダダイズムが生まれ、そこから芸術の定義が変化した、っていう事を、なんて上手に言葉で文学的に説明できるのか!とうに知っている歴史的事実が、作家の言葉で聞くとまるで新しい目から鱗な事のように聞こえてしまう。すごいなー!そんな風に日本語を操れたら良いよね。素敵だな。
芸術については、ナオも20歳前後の時に数年かけて考え抜いて、自分なりに勉強して色々知って、結局芸術は、一人一人、芸術家もそれを観賞する側も、それぞれ!どんなに理屈や歴史的背景や技法や何かを学んでも、結局は好きか嫌いか興味ないか、が一番大きな判断基準だと思うし、だとしたら、そういう趣味趣向について、アカデミックにこれ以上学ぶこともないかもな、という結論に達しました。ぐるぐる悩んだってどうしようもないことだな!って。ナオは自分の好みを心底尊重し自信に満ちあふれているので、自分の好きな人や作品について、どれだけ素晴らしいか、どれだけ好きか、どれだけ他と違うかを、堂々と話すことが出来るけど、それだって「ナオの好み」の話でしかないんだよね。結局は。それを誰かに伝えたりわかって貰えたりするのは、凄く嬉しいし、最高だけど、そう捉えない人がいたとしても、だからってナオの好きな物の価値が下がるわけない。ましては、世間の評価だとか、レビューとか、参考にはなるかも知れないけど、それが作品その物に影響は絶対にしない。そういうかなり個人的な感情こそが、芸術を芸術にするんだと思う。自己判断!
芸術家も、自分が本当に芸術家だと思うなら立派な芸術家だと思う。人や世間が何と言おうと、その人は芸術家なんだろうな。それと、その人の作品を見たり聞いたり感じたりした人が、それを芸術と捉えるかどうかは、別の事だと思う。何かを芸術、誰かを芸術家、とはっきり応えられるのは、時間と歴史。良い物は、必要な物は、残るって事だけ。
PR